ストリーミング配信向けのマスタリングにおけるラウドネス管理の価値
今回ストリーミング向けマスター音源をマスタリングしつつ、ストリーミングプラットフォームの音源仕様について調べていて感じたことを備忘録のつもりで書き留めていこうと思います。
まず、前提として音圧(ラウドネス)と音量の違いについて断りを入れておくと、
音量は音の大きさ、音圧は音の面積や密度の概念、音量の大小は必ずしも人間の聴感と比例せず、音圧の考え方のほうが人間の聴感に近い考え方です。
なので音圧を基に議論が展開されることを念頭においていただきたい。
今回極めて問題になったファクターは、ストリーミングサービス内で音源を再生するときに掛かる処理『ラウドネスノーマライゼーション』というもの
これは簡単に言うと、いろいろな音量の音源を通して聴くうえで聞き手が音量操作をしなくても快適にリスニングできるための機能ということです。ただそれだけです。
しかし、巷ではこのラウドネスノーマライゼーションの基準値(spotifyが-14LUFS、youtubeが-16LUFSなどに音圧をそろえている)について
リミッターなどでダイナミクスを犠牲にしてまで音圧をいくら稼いでも結局プラットフォーム側で下げられてしまう、それなら元から基準値付近の音圧でマスタリングするべきだなどと
あたかも音圧が大きいことが悪いかのようにミスリードする意見が散見される。
これは、過去にEDMなどのジャンルで起きた『音圧戦争』なるものに対するコンプレックスのようなまやかしのようなものだと感じた。
(リミッターだけで音圧を稼ぐのは確かに良くないが…)
※LUFS=ラウドネスユニットフルスケール≒人間の聴感に近い音圧の指標
ストリーミングサービスにおいてラウドネスノーマライゼーションが働くと
音圧が大きい楽曲の音圧は下げられる、しかしその低減処理ではフェーダーやボリュームを下げるのと同じように音質変化は殆どない、
逆に楽曲の統合ラウドネス(integrated Loudness)が小さいとプラットフォーム側の処理によって音圧を増す処理が加えられて意図しない音質に変化してしまうことになった。(今回実際にそうなった)
さらに、ストリーミング配信の多くの楽曲でラウドネス値はLUFS-6付近であるのが実態だった。
つまり、ストリーミングにアップロードする音源は integrat LUFS-6前後(超えてもOK)であっても問題ないし、そもそもジャンルや使う楽器によって楽曲全体の音圧が大きい時間が違うのでintegrated loudnessだけで判断すること自体が間違っているのだろうと思った。
ここで要点になってくるのは
integrated Loudness(統合ラウドネス)という枠組みの妙
dBTP(true peak)というファクタについて
の二つ
まず、統合ラウドネスというのは楽曲全体の音圧を積算して出される値(平均値に近い考えかた)であり、同じ長さの楽曲なら音数が少ない曲や減衰の早い楽器が多い楽曲は必然的にこの値は下がる、
一方でロックやメタルなどバンドの音源は音圧が大きい楽器が混在しているためまともにミックスしていればラウドネス値はかなり高い状態になる
ここでintegrated loudness基準でマスターの音圧を決めてしまうとロックやメタルは小さい音量にせざるを得ない状態になる
この問題はリミッターによる音圧稼ぎとは無関係に起こる、つまり音圧が高くなること自体は何らまずいことではない。
世の中のラウドネスノーマライゼーション議論ではどんなジャンルのどんな音数の楽曲についての話かという重要な要素がほとんど登場せず、リミッターで音圧を稼ぐべきではないという話ばかりが先行していて結局核心部分を解決する意見は存在していないと感じた。
さらには、アップロードするマスター音源のラウドネスと、プラットフォームの再生の標準ラウドネスが混同されていることすらある気がした。
実態はストリーミング配信向けのマスター音源のラウドネスに制限はなく(もちろん-0db以内で)、ミックスマスタリングして自分の耳で納得したラウドネスのままマスター音源を書き出して構わないということであった。
もう一つ重要なファクタはdBTP(true peak)
これは別名IPS(インターサンプルピーク)と呼ばれ。サンプリングしたデジタルデータ間に存在する潜在的なピーク値のことだ。
サンプルピークが0dBFS以内であっても別のフォーマットや別のサンプリング周波数に変換(リサンプリング)する際サンプルとサンプルの間の数値を生成する処理において0dBFSを超えた値が発生してハードクリップする可能性がある訳だが、その計算結果のオーバーシュートを×4倍のオーバーサンプリングによって再現して数値化したのがトゥルーピークである、
リサンプリングはストリーミング配信やデジタル再生機器において避けられない処理である場合が多いのでdBTP(true peak)に配慮する必要が出てくる。
が、EDMのように低音がデカすぎて長い時間トゥルーピークの0dbを超えるようなことがない限りクリップの影響は顕在化しない気がします、特にバンドサウンドでは各楽器が倍音を多く出しているので瞬間的なクリップであればまったく影響がないように思います。
と、ここまで長々と色々書いてきましたが…
結論としてはシンプルで
特にバンドサウンドのマスタリングに於いては、トゥルーピークが0db~-1dbであればどんなラウドネスでもほぼ問題なく、リサンプリング後もサンプルピークが+3db以内に収まり歪みは気にならないおおよそ意図通りの迫力のある音源にすることができるというという経験則を得たのでした。
inari 1st digital Mini Albumリリース
こんばんは、
昨日4/29に第5弾MV『セイレーン』が公開された
少し前にデジタルミニアルバム用のマスタリングを終え、4/30の本日ストリーミング配信も開始され、ひと段落したところです。
前年度から一年ほどに渡って制作・リリースされ続けた5本のMVの撮影や楽曲のレコーディング作業を経て、ついにリリースされたミニアルバムです。(レコーディング、ミックス、マスタリング、動画撮影、動画編集、写真撮影etcでmedulla labもがっつり関わらせていただきました)
抒情的でエモーショナルかつ等身大でリアルな歌詞と歌唱、そしてジャンルにとらわれない演奏、によって作られる楽曲、そして人懐っこいメンバー諸君などこのバンドには人を惹きつける力があるように思います。
楽曲を是非一度チェックしていただけたらと思います。
第五弾MV『セイレーン』はこれからリリースされるinariが作る短編映画の予告編といえる映像作品になっているのでこちらも是非一度見たうえで続報をお待ちいただければと思います。
MVやミニアルバムのリンクはmedulla lab HPのworksから確認できますので是非チェックしてみてください。
Sain'o O『ヒグラシ』について
暑さが少し落ち着いてきた頃、樹々の合間から橙色の斜陽が差し
心地よく懐かしい鳴き声がふと聞こえ出す、
思い出すのは昼間の喧騒かあの頃の記憶か
夏はいつも鮮明で儚い思い出に姿をかえ、心に残っています
夏は力強いからこそ儚く、儚い故に忘れまいとして鮮明に心に残るのであろうと思います。
夏特有のダイナミックで雄大な情景、夏の”終わり”に感じるなんとも言えぬ喪失感
一見対極にある様で表裏一体なこれらのイメージを表現できればと思いながらヒグラシの音を調整しました
夕暮れのどこからともなく聞こえてくるヒグラシとの距離感をイメージ
ギターの音色は古民家の縁側の木材や砂利、水などのテクスチャをイメージ
歌声は空間に存在する意識や記憶をイメージしています
とてもシンプルな音構成なので想像する余白が大きく、日本人のトラディショナルなイメージにも近いはずなので心と混ざりやすい楽曲なのではないでしょうか?
2020年の締め括りに近いこの時期に
アルバムSain'oOの最後を締め括る曲ヒグラシの記事を書けてよかったです
レコーディングミックスマスタリングとドラムの担当という立場からの切口で書いた一連の記事楽しんでいただけていたら幸です。
そして土橋悠宇くんをはじめ、多くの人が想いや意匠や熱意や技術を注いで作り上げた『Sain’oO』という作品を楽しんでくれて、永く愛していただけたら幸です。
Sain'o O『YeLLow』について
大変ご無沙汰しておりました、前回の投稿から気づけば4か月が経過し、今はもう年の瀬
アルバムのリリースからは半年が経過してしまいました。
考えすぎて手も足も出なくなっていたというのが正直なところです。
しかし…気を取り直して完走に向けて書いていこうと思います
YeLLowはブルージーなリズムに乗せた親しみやすい音楽という第一印象を受けました
構想の時点からたくさんの人の声を入れるパートがあるということで温かみがあり親しみやすい音像を目指して作業を始めました
ヴァイオリンパートによるウッディーな演出が加わることで、より温かみが補強されていると思います
最終的にテープシュミレーターや真空管コンプなど、倍音が多く付加されるプラグインが多めに入る結果となりました
人間味や温かさは曖昧さから生まれるノイズによって生み出されます、人の世にも必要な考え方なのではないかなと思います
みんなで合唱するパートでは多くの人が各自で収録した音源をDAW上で集約しています、多様な環境音も含まれる音源から音声部分をなるべく取り出し、集合写真撮影で全員の顔が見えるように気を配るカメラマンのような気持ちで各音源を空間上に配置しました、土橋君を中心に囲ってみんなが歌っている景色が見えていたら幸いです
YeLLowは曲調と歌詞の温かさと裏腹に
誇りと虚栄、個性と規律そういったバランスを欠いてしまいそうなこの国を皮肉っているウィットに富んだ側面もあると思います、一曲でA面B面的な楽しみ方ができる面白い曲なのではないでしょうか。
YeLLowのドラム録音の際に撮影していた動画を曲に合わせて編集したムービーがあります、拙い演奏ではありますがご興味があればどうぞ
Sain'o O『サテライト』について
記事を書こうと数日悩みながら、そのまま熱中症でぶっ倒れておりました…
皆さんお気を付けください
気づけばリリースからほぼ二か月経ったのですね
当初は20日程度で終わるだろうと踏んでいた全曲紹介ですがなんやかんやですいません
気を取り直して頑張ります…(多分)
本日はSain'o O『サテライト』について書いていきます
ごく初期にデモで録音したときこの曲はアコギと歌で収録しました、イントロはアルペジオで始まる曲でした。星が瞬くイメージは既にそこにありましたが
骨組みが全く違う印象だったのです。
デモ録りから少し経ってメインリフにエレキギターを使うことになりました
人工物であるサテライトというオブジェクトを表現するためとか、宇宙的なイメージを表現するためには、エレキギターのほうがしっくりくる感じもしました。
しかし、
リードギター、ベース、ドラム、歌と素材がそろってくるにつれて
ベースがクールに少しかっこよくまとめていたり、ドラムが変則的であったりする中で、
温かみや楽曲の厚みが少し足りない気がしてきました、ついでに予定調和すぎることも宇宙を表現するうえではあまり面白くないということで、素材として残しておいたアコギのアルペジオも薄く重ねて変化や揺らぎがより出るようにしました。
そうしてこの音源で聞けるサテライトの形が作られていきました、
(結果論ですが)皆さんが生で聞いていたサテライトの面影も残しつつ拡張した新しい世界観を演出できたのかなと思います
また、曲冒頭の数十秒間コズミックなサウンドが演出されていますが
スタジオで土橋君が短時間でササッと弾いて声を入れて作ったのを覚えています
本編中のドラムもレコーディング時に即興で数テイク録った中から選んでミックスしたものです
リードギターは一度目のレコーディングの後別日に録り直しをさせていただきましたが、結局初回のOKテイクを採用しています
そういう部分ではとても刹那的な一瞬を切り取ったような音源といえるのかもしれません(エンジニア的にはとても調整しましたが(笑))
宇宙が今まで重ねてきた時間の中に瞬く生命の存在の刹那さと重なります
直感だったり即興だったり瞬間的にその場で感じたものを表現したものというのは
独特なエネルギーだったり説得力みたいなものを持っていると思います
そういったエネルギーも感じていただけたら幸いです
Sain'o O『紅葉』について
ご無沙汰しております、、、
継続は力なりという言葉には継続には力が必要だという意味合いもあると思いました
気を取り直して書いていきます
今回はSain'oOの『紅葉』について書いていこうと思います
この曲では自分の印象というよりも、歌詞中に表現されている物語の舞台や心情の色や余韻に寄り添うミックスを目指しました
舞台は紅葉散る京都、石畳と自然の中にある歴史を湛える木造建築群、
登場人物は2人だけ、この世界に君と僕の二人だけ、なのに届かなくなっていく君を知ってしまう
淡々と静かに温度を失っていく心のあり様と季節のかさなり、
そこに悠久の時の中を変わらず輪廻し循環する自然や歴史の大きさや美しさがコントラストを添える
本来、散りゆく紅葉に悲しみなどないはず、そこに儚さや美しさを見出すのは人間の一方的なエゴであります
紅く染まって初めて紅葉の美しさは顕現し、散ることで儚さを魅せます
永遠だと思えたことの終わりを知ることでやっと美しさを心に刻む人間の性といったものを感じます
そんな景色を目指してリバーブの余韻や楽器の質感、バランスなどを調整しました
また、ゲスト参加してくださっているパーカッションとバイオリンが情景をより鮮明に映し出しているのも感じていただけると思います
(演奏者の皆さんが土橋君の世界観に真摯に寄り添って、土橋君と同じ向きを向きながら表現しているということはやはりすごいことだなあと思います)
フレーム内を彩る絵具やオブジェクトが多いほど受け手の想像力は掻き立てられます
しかしオブジェクトが多すぎたり色使いがエグ過ぎたり突飛なものだったりすれば受け手のイメージはぼやけて曖昧なものになるはずです
音楽(やその他の表現)を作ろうとしているときオリジナリティというものを追い求める必要に駆られる時があります
個性と違和感の境目というのは曖昧で言語化するのがとても困難なもの
個性的で受け手の数だけ解釈が存在するというやり方も面白いのです が、
この世の普遍的なものを切り出し、自分が見た景色を受け手にも見せられるか?という観点の奥深さを改めて強く感じました
とはいうものの違和感と調和や個性と普遍などなど、どちらが勝ちとか優れているという問題ではなく
バランスが大事だし、一人の人間が網羅的にすべての感覚を持っているというのは現実的ではないしつまらないので、色々な見方のの人々がお互いをリスペクトしながら議論ができると楽しくなって素敵ですね
(脱線してしまいました)
Sain'o O『ikusa』について
こんにちは、今回はアルバムSain'oO収録のikusaについて書いてみます
この曲は基本的にはいろいろな面でプレーンであることが求められました
いうなれば無個性という個性というものでしょうか
ですが、いくさというタイトルと曲の内容の組み合わせ的には言葉遊びや意味の重ね合わせがいくつかあるのだろうなと、一癖あるなという印象を受けました
総合的に判断して、『夏草や兵たちが夢のあと』という感じの描写の上にミックスを組み立てていこうという個人的方針を決めました
楽器構成でも土橋君のボーカルとアコギを軸に普遍的なバンド編成からはみ出ないことにこだわりました
自分はドラムパートも担当したのですが、ドラムでも同じく基本的にはあまり変化せず目立たないドラムを心掛けました
夏に戦ぐ(そよぐ)風ほどの緩やかな疾走感を感じていただけたら幸いです
”普通”に馴染むものを作るというのは、個性的なものを作るのと同じくらい繊細な作業だなと思いました