Sain'o O『紅葉』について
ご無沙汰しております、、、
継続は力なりという言葉には継続には力が必要だという意味合いもあると思いました
気を取り直して書いていきます
今回はSain'oOの『紅葉』について書いていこうと思います
この曲では自分の印象というよりも、歌詞中に表現されている物語の舞台や心情の色や余韻に寄り添うミックスを目指しました
舞台は紅葉散る京都、石畳と自然の中にある歴史を湛える木造建築群、
登場人物は2人だけ、この世界に君と僕の二人だけ、なのに届かなくなっていく君を知ってしまう
淡々と静かに温度を失っていく心のあり様と季節のかさなり、
そこに悠久の時の中を変わらず輪廻し循環する自然や歴史の大きさや美しさがコントラストを添える
本来、散りゆく紅葉に悲しみなどないはず、そこに儚さや美しさを見出すのは人間の一方的なエゴであります
紅く染まって初めて紅葉の美しさは顕現し、散ることで儚さを魅せます
永遠だと思えたことの終わりを知ることでやっと美しさを心に刻む人間の性といったものを感じます
そんな景色を目指してリバーブの余韻や楽器の質感、バランスなどを調整しました
また、ゲスト参加してくださっているパーカッションとバイオリンが情景をより鮮明に映し出しているのも感じていただけると思います
(演奏者の皆さんが土橋君の世界観に真摯に寄り添って、土橋君と同じ向きを向きながら表現しているということはやはりすごいことだなあと思います)
フレーム内を彩る絵具やオブジェクトが多いほど受け手の想像力は掻き立てられます
しかしオブジェクトが多すぎたり色使いがエグ過ぎたり突飛なものだったりすれば受け手のイメージはぼやけて曖昧なものになるはずです
音楽(やその他の表現)を作ろうとしているときオリジナリティというものを追い求める必要に駆られる時があります
個性と違和感の境目というのは曖昧で言語化するのがとても困難なもの
個性的で受け手の数だけ解釈が存在するというやり方も面白いのです が、
この世の普遍的なものを切り出し、自分が見た景色を受け手にも見せられるか?という観点の奥深さを改めて強く感じました
とはいうものの違和感と調和や個性と普遍などなど、どちらが勝ちとか優れているという問題ではなく
バランスが大事だし、一人の人間が網羅的にすべての感覚を持っているというのは現実的ではないしつまらないので、色々な見方のの人々がお互いをリスペクトしながら議論ができると楽しくなって素敵ですね
(脱線してしまいました)